Twitterに連投してたら、迷惑なのでleafletでに書かないとと思い書き始めた。

「言語化する」ということについて最近異常に動画が回っている。主に三宅香帆さんや谷川嘉浩さんの動画を見ているだけだからチェンバーやバブル、バイアスなのかもしれない。「日記を書く」から「SNS,noteを書く」から「本を書く」までさまざま語られるのだけどそこで驚くのは動画の参加者の反応だった

例えば具体的に挙げると「言語化はケアなのは理解できたけど他人に向けた言語化はケアなのか」→「相手への言語化はPRやプレゼンに近い」 「プレゼン的な言語化で相手が興味なさそうな場合、枕詞、言い出しを添えるといいと言われたがその言い出しで反応が悪かった場合は?」→「言い出しの言葉が悪い

「自分のための言語化と他人のための言語化が違うのが印象的だったが、話(他人のための言語化の)ときに気をつけていることってあるか」→「相手のターンを早めに渡すことを意識している」

何が驚きなのかというと、いやね、馬鹿にしてるかというのはなくて、「自分への言語化って内省的な話してたのに、み〜んないい大人がまだコミュニケーションで悩み相談しているの!?」と。そこに違和感があるのだけどみんなコミュニケーションに苦労しているんだな、という統計的事実が見えた気がした

でもでもよく考えてみると、今のインターンとかやってみて、もちろん詳しくは言えないのだけどボトルネックは実装のところではなく(そこはLLMで解決するから)人とのコミュニケーションの部分だった。そこはLLMで解決するかというとやっぱり逆にfrictionになってしまう。

自分で言う即興性、時間がない相手に伝える力などが問われる。個人的にはなかなかにこれがめんどくさいのだ。ちなみにこれで以前何度もトラブルになったことがあるから改善したい気持ちは多分にある。

情報を必要十分に載せた資料でも、「見ずらい」「もっとやり方があって」と言われる。そしてこれは研究室での学会資料の作成でも全く同じことを言われる。 馬鹿にしてたわけでもないけど、僕もコミュニケーション難民の一人だった。

かたやケア的な言語化について考えてみると僕は自分でノートを書くとかよりもSNSでこうして発信している時間がとても好きだ。ブログを書くためにノートを書いていると言う発送まである。考える時はどちらかというとSNSを開くことが多い。それはz世代だからなのかもしれない。

日記を書くのはストレスなのだが、SNSなら毎日続けられる。SNSが嫌われる昨今、千葉雅也先生のTwitter論まで踏まえつつ、「日記的SNSによる言語化によるセルフケア」が問題なのかどうかは僕の人生を持って調べてみたい。

なぜSNSがそんなにいいのか? フランスの天才CTOから「いいね」される可能性のある空間が楽しすぎるのかもしれない。「いいね」や「リポスト」は麻薬だ。そんなの本物は吸ったことないしそのつもりもないけどとにかく気持ちがいい。 昔からベタに言われるSNSの功罪がここにはあった。

最後に何が言いたいのかというと、僕はたまにこうして長文を投稿したくなる気持ちがある。ので、日記の代わりになるカジュアルなleafletによるBlogを書いていこう。それを書くために物理的なノートをまとめてみよう。

僕はインターネットをセルフケアの道具、自己実現の手段、欲求を満たすものとして扱っている20 viewしかないこのインターネットの片隅で囁いているこの時間がこの上なく好きだった。

P.S. そしてleafletを開くとサブスクライバーが一人増えていた!嬉しい!!ATProtocol大好き。