現在4つのテーマで実験を進めている。うち二つは企業さんとの共同研究(と言えるのかな?)で論文にならないものが一つ含まれている。正直いうとかなり辛い。まあ装置を作ってもらっているお得意さんというか、お世話になっている企業さんだからそれくらいはしてあげたいと思う。

研究が忙しくなってきたのを皮切りに、実験計画を立てるようになった。Notionのタイムラインviewみたいにノート上にプロジェクトごとのタイムラインを可視化して年末年始の休みまでの計画を立てて、細かい計画、現実味を帯びた具体的な計画を手帳に日単位で書き出す。この手書きでやるという作業が何より大事な気がする。自由度が高い。なんでもかける。そしてそれを着実に達成していってペケをつけていく。もう少しできるかもしれないと思ってもその紙面の限界を適度なゴールテープに変えていく。あと少しできると思ってもそこで止めてしまうのだ。

とまあこんなふうに計画を立てても実際に走ってみるのはかなり苦しいものだ。村上春樹の言葉なのだが、(正確には彼が見つけた新聞のインタビューの言葉なのだが)「痛みは避けがたい、苦しみはオプショナル」なのだ。苦しいことはいくらでも作ることができる。そして実際に動き出してそのルートを走り切るのは僕らの選択に依存している。そして同じプロセスには同じ量の苦しみが待っている。研究でも同じだ。研究は実際同じことの繰り返しになることが少なくない。同じプロトコルを、別の対象を使ってやり切る。それだけの単純作業になることが少なくない。精神の体力(矛盾した表現だが)が変わればその苦しみの感じ方も変わってくる。現に今は、6月中には楽々と行うことができた研究が億劫で仕方がない。これはきっと同じ作業の繰り返しに慣れてしまったことの裏返しなのかもしれないが、僕の精神の体力は着実に変化している。長期休暇を挟んで確実に落ちている。そのことは確かに悲しいことだが、体力は体力だ。筋肉は筋肉であり、精神は精神でしかない。僕が人間である限り(これは最近ピアノをしていて不思議に思うのだけど)それらは可塑的なものであり、変化を伴うものである。いくらでも、とは言わないまでも良い方向に改変していくことはできるだろう。体力を常に向上させようと努力すべきだとは言わない。僕という人間はかなり気分屋で体たらくな人間だ。昨日まで世界を救うつもりでも明日には世界を壊したくなっているかもしれない。僕という人間はそんな人間なのだ。その周期もかなりランダムで時間を変数にした関数にはなっていないようだ。周期的なのだが、その周期は何が契機になっているか僕にもわからない。だから今日計画的に実験していても明日には全く違うことをしているかもしれない。それは怖いことでもあり、楽しみなことでもある。実際、先日まで音楽が僕の中の全てだった。音楽について考え、音楽を基準に物事を判断し、音楽をどうすれば極めることができるのかについて頭の中を満たしていた。それにも関わらず、今は研究の話をしている。もちろんピアノをやめるつもりもないけど、僕は確かに数週間前とは変わってしまっている。いくつかの僕の習慣はもう変えることはないだろうと思える。例えば朝早く起きて夜早く寝ること。例えばたまにこうして文章を書くこと、ノートに日記(のようなもの)をつけること。音楽を嗜むこと。つまり聞いたり弾いたりすることだ。ピアノも良い習慣になると嬉しい。

今日紹介した実験計画を3,4ヶ月ごとに立てる習慣がそれらの習慣と並んで変わらない、僕にとっては大事な物事のうちの一つになることを僕は願っている。実際にどうなるかはわからない。このdialyのいく末を見守ることにしよう。